ゆるむろぐ

ゆるむ生き方にパラダイムシフトするべく、あれやこれやを実験してみたり、語ってみたり。

ダサいは正義

ダサいを正義とする

むしろ、ダサいほうがウィン。
むしろ、カッチョ悪いほうがウィン。

「『自分ってイケてるぅ~』と思う基準を、ダサければダサいほどいい、カッチョ悪ければカッチョ悪いほどいい、ということにする」
もともとこの傾向はあったけれども、改めて明文化してみた。

ダサいが意味するもの

なぜか。
カッコよくなってしまっている(←むしろ、ネガティブな言い方)、そつなくこなせてしまっているということは、何にも挑戦していない証。
何の負荷もかかっていない状態。
これは、むしろダサい。
「見て。見て。あたし、自転車に乗れるんだよ」とアピールするのと同じくらいダサい。
「いや、自分、それ、小学校1年の時にクリアしたヤツやん」ということになる。

去年の今頃はやっていなかったであろうことを今やっているとしたら、だいたい、恐ろしいくらいにダサダサな見た目になっている。
大の大人が道ばたで転んで、すり傷を作ったりして、思いっきり絆創膏を貼ったりしている。
でも、これは挑戦している証なのだから、ダサいほうがウィン。

最近トライしてみて、できなさすぎて、笑うしかなかった筋トレがある(笑)。
すり傷こそ作らなかったけど。
たぶん、真上にカメラを設置して撮影した映像を見たら、我ながら「ねえ、ねえ、この人、何やってんの?」と思うだろうなと思う。
「何やってんの?」って、筋肉を鍛えているんだってば w
一応、当人、超ガチでやっていたつもりだったし。

謙虚になる方法

ふと思ったけど、「最近の自分、イキっちゃっているな」と思ったら、その日一日左利きで過ごしてみるのも手かもしれない。
左利きの人からしたら目をつぶってでもできることが、産まれたての小鹿なみに震えて、全然デキナイことウケアイ。
「やる気ある?」というギャラリーの冷たい声 w
できなさすぎて、謙虚にならざるを得ないシリーズ www
ちなみに、小鹿でもやる気はあるはず w

おでこに絆創膏を貼っている人とすれ違ったら、「Cool guy!!」と心でつぶやいて、その人を称えよう。
「今のあたし、カッコよくなってる?」って思うことがあったら、焦ろう(笑)。